どせいさんの会

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磨耗カワイイ、ファンシー鉛筆

2016/04/25(Mon) 21:59 | Edit
ノート


ファンシー鉛筆ってなんか、良いよなあと思うのである。
流行りのキャラクターやら
サンリオの可愛いキャラクターやら
単純にきらきらラメラメなのやら、
が印刷された鉛筆。
小学生のときに主に使っていて、
なんとなくお気に入りとかあったなあ。
芯の硬度(BやHBなど)は、
そのお気に入りさに一切影響していなかったように
思われる。
筆記具好きが一周まわって、
いま、十数年ぶりに鉛筆を普段使いにしています。
文具好きが一周まわって、って、いけすかないですね。
いや、なんか、デザインと機能性と自分の用途へのフィッティングを
高い次元で兼ね備えが最高のペンとは!?
とか考えることがちょいちょいあって、
各種ボールペンや、水性ローラーボールとか経て、
いろいろ考えすぎて、わーってなって、
鉛筆の、黒鉛を紙になすりつけるシンプルさに落ち着いた、
とかそういうアレです。
この本の影響も大きい。
削る楽しみ。
「考える鉛筆」
ともかく、文具としてなかなか楽しいぞ鉛筆、となったため、
トンボや三菱、ステッドラーなど、各社の鉛筆の違いや、
また硬度と紙との相性をいろいろ試したりが楽しい最近です。
で、まあファンシー鉛筆ですよ。
信頼のおけるメーカーが出してる鉛筆なら
筆記性能は問題ないにも関わらず、
見た目はカワイイって良くないですか。
え、ハイブリッドインクのボールペンとかでも
ファンシーなのあるじゃないか、って?
鉛筆のいいところは、削るところです。
削ると、減る。
短くなっていく。
カワイイが、しかし、消えていく。
おとなは持ち物が多い。
物理的にも精神的にも。
使い続ければ消滅するカワイイは、
おとなでも気楽に持つことができる。
このカワイイと付き合い続けなければいけないのか、
という思いが脳裡によぎった場合、
もうそこに鉛筆の楽しさは盤石ではない。
一時の愛着でもいいんだよ、
という気楽さが良いのだ。
だからファンシー鉛筆は、
消耗品としての、使い捨ての、気楽なカワイイ、なのだ。
……。
という考え方もできるけど、
単純に、
ファンシー鉛筆のこどもっぽい可愛さと
鉛筆という筆記具のなかでもローテクな有り様が、
なんかしっくる来る、っていうそれだけのことかもしれません。
出張コーヒー屋「セトコーヒー」というおこないを
おこなっているのですけど、
セトコーヒー鉛筆とか作りたいな。
ノベルティとして、なんか気安い。
オリジナルボールペンとか、
使わず仕舞いになることが多いじゃあないですかあ。
いや、まあ、ひとによるか。
てか、鉛筆キャップの話ですよ。
いや、ファンシー鉛筆とだいだい然りなので、
書くことないですが。
筆記具という、
機能性ありきでカワイイを内在させる余白の少ないジャンルの
道具において、
鉛筆やその周りはカワイイを息遣せ安いんじゃないかなあ、
というのがあって、
ちょっと注目しています。
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半袖の魂

2016/04/23(Sat) 02:07 | Edit
ノート

Tシャツってアートじゃないですかあ。
それを着ることで自分の何かを表現することも出来るアイコンでもあるじゃないですかあ。
Tシャツえらぶのすごい楽しい。
着て出かけるのも楽しい。出勤すら楽しい。
やあ、Tの季節が来ましたね。
T着たり、T着ている人を見たり、T褒めたり褒められたり怪訝な顔をしたりされたり、場に出されたTの効果で相手プレイヤーにダイレクトアタックしたりされたり、あるいはTで会話、Tで華さくカンケイもあるし、Tで淹れるコーヒーの味も変わりましょう。
Tとの出会いは、点と点の出会いです。
なんとなくで選ぶことは不可能。
唯一無二の人生で研いだ自己の槍の切っ先と、Tのグラフィティにより発現した指向性のある呪いの出会い。
チョイスに人柄出具合おもしろいですよね。
すれちがう見ず知らずの人でも素敵なTを着ていたら、仲良くなれそうな気がする。
あなたとわたしのリクルートスーツ。
Tを着よう。
しかし、Tを着ないという選択もしよう。
それは、Tを着ないという主張(T)を着ることです。
なので、誰もがTを着ている。
知性ある我々にんげんは、つまり、物心ついた瞬間、魂にTを着ている。
魂に着たTを見せたいなら、そのTと似たTを着よう。
魂に着たTをみだりに見せたくはないが、そのTの秘めた光や香りを表したいなら、生き様で示そう。
人=T
小学校に入学すると、最初に習う公式だ。
それは、内省を計る指針。
人を見ればTが視え、Tを見れば人が透ける。
成長とともに、Tを着替える。着なくなるTが心の部屋の隅に積み上がる。
ときどき、その布の山から一枚を手にとって広げてみると、なんかまた着てもいいかもな、と思えたりもする。着たら案外しっくりくる。
背伸びした時期もあったが、いまは謙虚になった自分もいる……と、着用した古いTを見下ろして思うだろう。
お気に入りも、着なくなったものも、自分で選んだTだ。誇りを持とうじゃないか!
……。
はい、まあ、要約すると、
今日着てたTシャツ褒められて嬉しかったよ^^v
ということを伝えたいのだ。

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ちょっとの違いで大違い

2014/07/17(Thu) 23:10 | Edit
ノート

ロードバイク(主に自転車の長距離レース用自転車)のコンポーネント(変速機、ブレーキ、ギヤなどの駆動パーツ群)にはランクがあって、例えばSHIMANOの場合だと下から《SORA》《Tiagra》《105》《ULTEGRA》《DURA-ACE》の5ランクのコンポーネントがあって、何が違うかというと、重さ(軽いほど良い)だったり耐久性だったり駆動精度だったりするようですが、ロードバイク初心者はもとより乗りなれた人でもその違いがすぐわかる…というわけじゃなかったりするようで、そもそも下位のSORAからして、ショッピングしたり子どもを乗せたりとかじゃあない、走ることそのものを目的としたロードバイクという車種のコンポーネントですので、充分に高性能なわけでまあ快適に走ることが出来るのでしょうけれど、最上位のDURA-ACEと値段を比べると例えばチェーンの値段を手元の資料で調べたら3倍近く違っていて、まーそりゃあそれぞれ、一般のひとがレジャー的に乗る用とロードレース世界一を決めるツールドフランスやらで勝負できるレベルの選手用ってことなのですから3倍の違いはむしろ大きな差ではないのかもしれませんが(ちなみにパーツを含めた自転車全体の値段だと入門用のSORO搭載車は数万、DURA-ACE搭載のプロ仕様車だと100万超します)いったい何がそんなに違うのか、重さったってコンポーネント全体で数百グラム程度のちがいのはず(本職さんに怒られそうですが)しかも5ランクに細分化されている、その意味は? 思うにそれは10km走っただけではわからない、ペダルのひと踏みごとにクランクが回りチェーンを引っ張りギヤを駆動させタイヤを転がし推進する過程で、人間が自転車に加える力が推進力に変化するまでの全ての工程で、その連続の中で、知覚し得ない微細な負荷が全パーツの間を伝播しているはずで、コンポーネントの違いはきっと数千km、数万km走った先で大きな差となって表れる、のだと思いますそれは速さか距離か時間か人間の感情や疲労度へか、その全てか、上位コンポーネントの意義はここにあると思います、プロのツアーレースは一日百数十kmを長ければ20日を超える期間連日走り続けるわけで、パーツ性能の違いは普通のひとには微細な差異の連続すぎて全くわからなくてもプロにはひと固まりの違和感やら疲労度やらとなって知覚されるはずで、良いものの良いものたる所以はハードに、又は長く使わないとわからない、という場合が多分にあろうと思うわけで、いやまあ単純に合わない靴で出掛けると帰るころにはくったくたになるぞ! というと共感しやすいでしょうか、良いものはたいてい高価だけれど、それが道具なら、使い続けるうち、同じ用途でも安価なものとは使うたびに感じるストレスが違っていて、なんだか日々がすこしだけたのしかったりして何年か先の利益になっていたりするやもしれなくて、コストの低い選択をするよりも高価でも性能を選ぶことは結果的な収支は後者のほうが高くなるのではないかということだったり、そういやあ、家庭用にはけっこう高価な1万円のドリップポットで淹れる珈琲でセトコーヒーを知ってくれるひとはずいぶん増えたなあということだったり、いやいやとにかく、長く使う可能性が高い道具は値段できめちゃあだめだぜ、という話ですよ、使い勝手だけじゃなく使うときのストレス度合いやらデザインによる高揚感だとかで、使えば使うほどコストは際限なく希釈されそれを使用して得られる価値は上昇してゆく、かもしれませんねぇーーほぼ日手帳べんりっ!

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自転車の前カゴが壊れかけてて、いま応急処置して乗ってます

2014/07/17(Thu) 22:15 | Edit
ノート

それと業務用のウォーターピッチャーが熱い。
もうめちゃめちゃどこの飲食店にもあるプラスチックの容量2Lくらいの、寸胴のあれなんですけど、週末は戦場になるショッピングモールのカフェでめっちゃハードに使ってるのですけれど、よー考えたら割れたことないぞ。
プラスチックじゃないのか、何で出来ているんだ。
あと、底が数ミリだけ高台になってて、ステンレスの作業台に触れて中の液体の温度に影響が出るのを防ぐためだと思うのですけど、高台部分は裏返せば凹形状になってるので、洗う時に流水を跳ね上げてしまい洗い場周辺を汚してしまいやすいと思うじゃないですかあ、でも違うんですよピッチャー底部を円形に沿う高台部分の一部に切れ込みがあるのですよ、これのおかげでここをすすぐとき切れ込みから水がにげるので跳ねないのですよ、業務用の道具すげーていうことなのですけど、その機能的デザインのもつポテンシャルを引き出しきるシチュエーションて日常でも仕事でもそうそうなかったりするような気もするので、皆さまの職場のなんの変哲もないけど当たり前にこの形してるよなあという道具は実はすごい技を隠し持っているかもしれないわけで、そういう目で道具屋…というかホームセンターやらのキッチン雑貨コーナーみると、おしゃれなのも派手なのもしゅっとしてるのもぼてっとしてるのも、全て輝いてみえやしないか、ぼくはします、最近きになるのは珈琲豆を「保存」するためじゃなくカウンターで頻繁に「出し入れ」するのに適した容れ物です、出し入れというか開け閉めでしょうか、よくあるのは缶ですね、クリップもパッキンもないですがフタと本体の径のジャストフィット加減のみである程度のレベルでの気密性を保ちつつ片手でも開け閉めしやすいので、缶最強説がぶちあがらんばかりですが、アクリルの蓋にパッキンが付いたタイプもなかなか使いやすいですね閉めるときは上から押さえるだけ開けるときもフタの片側だけに上方向のちからを加えるようにすると簡単ですし、いやいや密閉性はこの際よいのですよ、どのみち開け閉めするので、めっちゃ空気はいるので、大事なのはフタがしてあること、異物混入を防げること、お客さんんからみて衛生的であること、でしょうよ、そうなると容れ物と同じサイズのフタをぽんと置いておくだけでも良いかもしれませんな、また「保存」したいときは保存ようの容れ物に移して、開け閉めの便を顧なくともよいのなら袋タイプのジップロックでも良くかさばりませんね、いやあ出張カフェのときに使いたいなーというあれなのですよ、保存用とは別に臨戦態勢スタンバイ完了グリーンシグナル回転な容れ物があれば便利だなーと思っていろいろ探していたらまーいろんな種類があって、ひとつの用途にこんなにバラエティに富んだアイデアやら形状やらスタイルがあるのだなーとか思っててそれでよー考えたらなんだ道具って何でもそうだよなあとなって、よーみたらバイト先のウォーターピッチャーもいい仕事していやがるなあとか思って、道具がその用途とデザインのちからを最大限発揮して働いている姿は美しいなあと、道具がその用途を最大限発揮できるよう手入れされていることは尊いなあと言いたいのですよつまり自転車のカゴ壊れたまま乗っててごめん><

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分身さん行ってらっしゃい

2012/12/14(Fri) 13:30 | Edit
ノート

だれかが書いた文章を読むことって、
一時的にそのだれかに成り変わることじゃないか。

ある特定の作家さんの小説を
集中的に読んでいるとき、
小説を読んでいない時のじぶんの思考が
小説の文体になってしまうことって
わりとあるあるだと思う。
そりゃそうだと思う。
小説を読んでいるときって、
集中する。没入する。感情移入する。
そしてそこにある世界の内側から想像する。
だから小説を読んでいないときはある意味で、
そこにある世界の内側から
われわれの生きる現実の世界を想像している
状態になっているのではないか。
こっちに居て向こう側を想像しているんじゃなく、
向こう側からこっちを想像している状態。

小説で例えましたけど、
ある程度パワーのある文章って
それが論文であっても批評であっても
ツイートであってもブログであっても、
読者を引き込んでしまうと思う。
執筆者の意志や思想に
自分のあたまが塗り替えられてしまうと思う。
書かれている内容の問題ではない。
書かれている内容を、
読者として理解するのではない。
読者はそれを読んでいるとき、
いつのまにかそれが自分の考えたことだと
錯覚する。
自分が執筆者になっている。
自分が体験したことだと信じている。
別の自分になっている。

のではないでしょうか。
でもきっと、文章を読む楽しみって、
そういう部分なのじゃないかなあ。
とも思う。

別の人間になれる。
別の世界に行ける。
別の見方ができる。

そういう快感があるのだと思う。

質の良い文章を
大量にあたまに流しこむ。

すると、
自分の一部がたしかにその文章の執筆者や
その文章そのものになる感覚がある。

まあ要は、
素晴らしい文章にはつよい影響を受ける、
というそれだけの話なのだけど、
それが、自分を塗り替える行為だという
言い方をすると愉快だなあと。

で、
思い出したけど、
まだブログが無かったころ。
ネットで文章書くってなると
だいたい自主ホームページを立ち上げないと
いけなかったころ。
俗にテキストサイトという、
文章主体のホームページが跳梁跋扈していた。
ネットは広大で
ぼくが見てたものは全体の何万分の1なのかは
わからないけど、
その中で「俺とパンダ」というサイトは
当時あったテキストサイトの中で最高峰なのではないかと思う。
日常をテーマに、独特の切り口で書かれた文章は、
何度読んでも声だして笑った。
というか文体がかなり独創的だった。
思春期のころ、めちゃめちゃ読んでたので、
現在のぼくの一部は間違いなく
「俺とパンダ」で出来ている。
ぼくの目線も考え方も文章も、
「俺とパンダ」で出来ている。
と言っても過言ではない。

文章を読むと、
頭のなかに執筆者の分身が生まれる。

こう、まあ、つまり、
ひとの目に触れる文章を書くという行為は
めちゃめちゃクリエイティブなのではないかということだ。
いや、文章そのものがクリエイティブという意味ではなく、
読者の頭の中に別の何かを生み出し、
そのまま居座らせてしまえるという意味で。

居座った何か、例えば執筆者の分身は、
読者のもともとの意識を浸蝕し、
執筆者の意識に近い別のものに
変えてしまうかも知れない。
どれくらい執筆者に近いかはわからないが。
もしかしたら限りなく近いかもしれない。

例えば、
ぼくのブログの文章も、
そういうパワーがあったとして、
もしも全てのエントリを読んでくれた人がいたとして、
そんなあなたは、
ぼくですか?



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ひまなときはひまなものである

2012/07/17(Tue) 15:09 | Edit
ノート

親友と呼べる相手って
そう多くない。
というかそういう相手が
ひとりもいないという場合も
けっこうあると思う。
定義は難しいけど、
少なくとも出会ってから経過した
時間は関係ないと思う。

ぼくは幸せなことに親友と呼べる相手が
ひとりいて、
しかし彼とはまだ出会って1年半だ。

おかしな出会い方だった。
接点は全くなかった。

ぼくがCD屋うろうろしてたときに
声かけてきたひとがいて
そのひとが誘ってくれたホームパーティに
来てたのだその彼は。

メンツのほとんどが初対面のパーティだったので、
ぼくは自己紹介代わりに
自宅でつくったコーヒーを水筒に入れて
持って行って、そこで振る舞った。

彼はそのコーヒーがいたく気に行ったようで、
それがきっかけで意気投合した。

彼は語学が堪能で、
たしか日常会話レベルなら
5ヶ国語喋れたはずだ。
旅が好きで、
毎年1~2ヶ月滞在するという
オランダの話をよくしてくれた。
ホームステイ先の家族や町の人たちとの
ふれあいの話を聴いていると、
彼にとってそこは第二の故郷なのだということが
理解できた。
同じくらいドイツも好きなようである。
フリーターをしながら生活している今も
ドイツ語の勉強はつづけていた。
そして彼は念願だった
ドイツの国家機関が運営する
語学教室への入学を果たした。
これがもう
とんでもなく狭き門らしいのだ。
入学手続きからして全てドイツ語だし、
様々な試験をパスしなくてはならない。
入学したらしたで、
課題の難易度や量が半端ではないらしい。
授業を受け続けるだけでも、
学力だけでなく、相当な根気と体力を要する。
睡眠時間は限りなく少ない。
実際、脱落していく者は多かったようだ。
でも彼は授業を受け続け、
課題もこなしていった。
体力的にも精神的にも
限界ぎりぎりのところを
さまよい続けていたらしいが、
不思議とイヤになることはなかったらしい。
どんなにしんどくても
授業のある日は楽しくて
足取りが軽かったと。
それは教師があきれるほどだったという。

ぼくはこの話を聴いて、
彼のことを羨ましく思った。
しんどい様子は伝わってくる。
ぼくならとっくにギブアップしてるような
凄まじいスケジュールを
彼はこなし続けているのだ。
でもそれでも楽しいという彼はたぶん、
自分のやりたいことと
自分に向いてることが合致している。
それが、
それを見つけることができたことが、
それを自覚できていることが、
羨ましかった。
自覚して、
体力と精神力をすり減らしながら、
全力でぶつかれるものに
全力でぶつかれていることが
羨ましかった。
そういうものは
誰にでもあるわけじゃない。
やりたいことがあっても、
自分がそれに向いてないこともある。
機会にずっと恵まれないこともある。
条件がそろっても
やる気が持続しないことだってある。

そのときぼくは、
どこに向かっていけばいいか、
何をすればいいか、
まったくわからない状況だった。
彼のことは本当に尊敬していた。
自分の向かうべき方向を知っていたし、
実践もしていた。
旅をする彼の生き方にも強い憧れを抱いた。
しかし、それなのに、
そんな彼が言うのだ。
ぼくのことを尊敬していると。
理由を聴いてもぴんと来なかった。
考えてみた。
ぼくのどこに
尊敬できる要素があるだろう。
あれかなあ、
何も考えてないところかなあ。
ともかく彼はぼくを尊敬していると言い、
親友だと言ってくれた。
嬉しかったのは確かだ。

ところで彼とはここ4ヶ月ほど
会っていない。
一時期はヒマさえあれば遊んでいたのに。
いまは勉強がものすごく忙しいようだ。
ここ4ヶ月でぼくは、
ようやく打ちこめることを見つけた。
そしてそれは今も続けることができている。

久しぶりに会いたいなあと思った。
とくに何を話すでもないんだけど。
彼がいつもどこで勉強しているかは
知っていたので、
今日そこへ行ってみた。
驚かせたかったので連絡はなしだ。

しかし、彼はいなかった。
入れ違いだったようだ。

なんとなく思ったのは、
まだタイミングじゃなかったのかも知れない、
ということ。
お互い向かうべき方向がわかって、
突き進んでいる状態である。
まだもう少し走り続けて、
落ちつける時間ができたら、
コーヒーでも飲みながら
語り明かそうじゃないか。


とか書くとドラマチックだけど要は
ぼくのほうはこんなこと長々と書けるくらい
ひまだから遊んで!><
ということである。

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こちらから積極的に間合いを詰めて発動

2012/05/07(Mon) 14:26 | Edit
気になる珈琲(アイツ)

最近ですね、
出張カフェというやつを始めました。
自宅でコーヒーを淹れるのじゃなく
どこかに赴いてコーヒーを淹れるわけです。
その場で強力な
当たり判定を発生させながら
上昇する昇竜拳ではなく、
相手のふところにステップインしてから
上昇する咲桜拳というわけです。
どちらが強力かは
状況次第ですが、
どちらも使い分けられるならば
攻めの幅も広まるというものですね。

で、
「セトコーヒー」という名前で
やっているんですけど、
出張カフェブログを別で
やってますんで、
そっちもよろしく!
   ↓
http://setocoffee.hateblo.jp/

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そこに行きたかったから行った男

2012/03/05(Mon) 00:00 | Edit
短編ブログ小説

 とある大学のラボに、男と、女。
「爆発ってなんだと思う?」
 と男は言った。
「一瞬に大きなエネルギーが生まれること」
 と女は答えた。
 男は手元のスイッチを押した。
 ピンポン、と電子音が鳴る。
「正解」
 男はさっき押したスイッチの隣のスイッチを押した。
 ブー、と電子音が鳴る。
「でも不正解」
「えー」
 女が、ぶーたれる。
「爆発とは。正解は、我慢することだ」
 と男。
「どういう意味でしょうか?」
 と女。
「うん。いいかい」
 男は腕を組んだ。
 女はA5ノートを開きボールペンをノックする。
 ボールペンをノックするとき指ではなくノック部をほっぺにおしつけるやり方をした。
「それいいな」ほっぺがふにってなる感じ。
「は?」
「……解説の前に珈琲を淹れようか」
「じゃ、あたしミルク温めますね」
 ラボに2基あるガスコンロ。男は水をいれたコーヒー用ポットを強火にかけて、珈琲豆と器具を準備する。女は手鍋に入れたミルクを弱火にかけて、膜がはらないように見張る。
 男は豆を測り、手挽きミルに投入してハンドルをぐるぐる回す。
 がりごりがりごりがりごり……
 男は豆を挽き終わると、戸棚から珈琲を淹れる道具を取り出してセッティングをはじめる。
 女は手鍋をときどきゆすりながらミルクが適温になるのを待っている。
 しゅんしゅん、かたかた――
「先生、沸きました」
「うん」
 男はポットをコンロから外し、少し間を置いてから、コーヒーのドリップを始めた。星条旗デザインの派手なジャケットのポケットに片手をつっこみながらポットから挽き豆にお湯を注ぐ。
「よし……っと」
 言って女はコンロの火を止める。男が取り出しておいた2客のカップに温めたミルクを少量ずつ入れる。
 ほどなく男が珈琲のドリップを終えて、サーバーから淹れたての珈琲をカップに注いだ。カフェオレができた。
 席にもどって、ひとくち。
「ふぅ……」
「はぁ……」
「落ちついた。きみ、私はどうしてこんな格好をしているのだね」
 男は自分の服装を見下ろす。星条旗デザインのジャケット、星条旗デザインのハット、真っ赤なエナメルのクツ、カイゼル付けひげ。
「倉庫と化した多目的教室を掃除していたら出てきたと言って、うれしそうに着込んでたじゃありませんか」
「どういうことなのだ」
「存じ上げません。カフェオレおいしいです」
「おいしいか……それは良かった」
「はい」
「うむ」
「で……」
 女はカップを机に置き、A5ノートとボールペンを持つ。
「さっきの解説を聞かせてください」
「よし。よく聴くんだ」
「はい」
 女はノートを広げ、ボールペンをほっぺでノックする。ふにっ。
「それいいな」
「はい?……ああ、このペンですか? アルスターっていうんですよ。ドイツの――」
「あ、いや、じゃなくてだな」
「は? あ、ノートですか?」
「違くて、ボールペンをほっぺでノックするのがだよ」
「ああ」
「若いうちだけだよなあ……」
「へ?」
「皮膚がすぐ復元するの、若いうちだけだよなあと思って」
 男は人差し指で女のほっぺをぶすっと突いた。
「ふおっ!」
 女はとっさに振り払った。
「何するんです!」
「ほらもうもどってる」
「セクハラですよ」
 女はもう平静にもどって冷たく言う。
「えっ……」
 反対に男がひどく驚いた。
「セクハラ」
 もう一度言う女。
「それは私のせりふであると、主張したい」
 男は憮然とした表情。
「なんでですか?」
「なんで? ……おっ、クイズだな」
「いや」
「何故セクハラと言われた私が、セクハラされたのは私の方だと思ったでしょーか!」
 男のテンションが急に上がったので、女は少し、きもちわるいな、と思った。
「いや……」
 女は嘆息してペンとノートを机に置いてかわりにカップを手に取りカフェオレをひとくち。
 それから机に置く。
「わっ」
 と男が驚く。
 女が不意に男の顔に向かって両手を伸ばしたのだ。
「じっとしてて」
 男は思わず目をつむった。
「……あれ」
 男は自分の頭が軽くなったのを感じた。
 ピコン、と電子音が鳴り帽子のランプが光ってまわる。
 しかし光っているのは男の頭上ではなく女の頭上だった。
「あっ、帽子」とられた。
「……」
 女は男をじっと見ている。
「ん?」
「回答しますよ」
「え……あ。えーと、何故セクハラされたのは私の方だと思ったでしょうか。お答えください!」
「男性として意識されてるとわかったから」
 男は手を伸ばしてスイッチを押した。
 ピンポン! と電子音が鳴る。
「正解!」
 と男。
「でも不正解」
 言ったのは女。スイッチを押す。
 ブー、と電子音。
「へ?」
「結婚したら男と女じゃなくなるとお考えですか? あたしはずっと女だし、あなたは男よ」
「…………ごめん」
「日本人ってシャイですね。いえ、先生が特にそうなのかしら」
「いやかい、アンナ」
「ううん」女は首をふる。「少しニューヨークが恋しくなっただけです」
「でもさっきセクハラって言ったのなんで? やっぱりいやなんじゃあ……」
「言ってみただけです。気にしないで、あなた」
 女は男の顎をなでる。
 それを合図と、男はクイズ同好会時代に士気高揚のために買った星条旗ジャケットを脱いだ。ネクタイも緩める。
 女はカップを空けて、星条旗デザインのクイズ・ハットを机に置くと、ブロンドの髪をはらうしぐさをする。それから上着を着てラボを出た。
 残された男は、ぐっと何かが詰まったような気分になった。それは夜再び女に会うまで続いた。

   了

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いや負けてないですよ?

2012/03/04(Sun) 15:41 | Edit
気になる珈琲(アイツ)

ザ・グレート・フリー中です。
仕事さがし中。

先日、面接に行って来た。
大都会大阪の大都市ミナミの
ど真ん中の
森羅万象卸問屋に居を構える
ハイソサエティ・カフェのアルバイト。
新規オープンらしいけど、
系列店に属するバリスタ
(珈琲淹れるのがかなり上手な人)
は軒並み世界大会レベルという、
マキシム・ハイ・ポリッシャーな
真鍮削り出し人間がいたりする店
なのですが、
ぼくもまあ珈琲好きなので、
まあ、なんとかなるんじゃねーのー?
という真摯な志しを胸に、
応募したのですね。
情報を確認するとその店は、
本場イタリアンバールを精巧に再現した
お店だそうで、
あとバリスタがカプチーノに描く
ラテアートがウリだそうで、
あと扱う珈琲豆も一級品だそうで、
バリスタの技術やスタッフの
訓練された接客もウリだそうで、
つまりまあ、
商品と人と店と、
総動員してお客様にくつろぎの
ひとときを過ごして頂こうという
そういうことのようなのですが、
ぼくが目指しているのは
そんなところじゃないんですよ。
もっと遠くを、上を、未来を、
異次元を目指しているんですよ。
結果から言うと不合格だったんですけど、
その熱意を伝えることができれば
合格するんじゃねーのー?
と思って選考を受けたのですね。
珈琲。
珈琲は奥が深いのです。
珈琲豆の風味を決める成分は
900種類以上と云われ、
未だ解明されていない成分もあることから、
その数字はさらに多いことが想定されるそうで、
そのうちお湯に溶けだしやすい成分が残って、
それがカップに注がれた珈琲の味に
なるということなのですが、
900種類超の成分の
どれを多く生み出せる豆を使うか、
どれを際立たせる焙煎をするか、
どれを残す抽出をするかによって、
その味は千変万化するんだけど、
そんなもん人間の舌と鼻で
わかるのかという気もするけど、
音楽だって、
人間の可聴域を超える音波が
含まれるほうが
聴いてて深みが感じられるというのだから、
珈琲のそういう味だって、
知覚できなくてもしっかり
脳みそには届いているはずで、
なんだかよくわからない感動が
あったりするんじゃないかと
考えると、
無限の可能性があるということになり、
無限の可能性があるということは
珈琲を用いてあらゆることが可能である
ということで、
珈琲を飲むことで
スマホの保護フィルムをきれいに貼ることや、
珈琲を飲むことで
人気ラーメン店に日曜日行っても
並ばずに入れることができるかも知れない。
そういう珈琲を淹れることできるという
その可能性はゼロじゃない。
何せ成分が多い。
今デジタルの時代でしょう。
0と1の世代でしょう。
でぢたるの成分は、
つまり、2つだ。
でもその2つで、
ほとんど無限と云えるほどの
いろんなことが出来る。
人気のホテルに格安で泊まれたりする。
ゲームができる。
遠く離れた人とコミュニケーションが取れる。
美しいものを見られる、触れる。
2つの成分で、である。
では900なら?
次元を超えたり
時空を操作したり、
容易なのではないだろうか。
あっちの星からこっちの星へ、
一瞬で行き来することなんて朝飯前。
間違ってますか?
間違っていると証明できますか?
ごめんなさい(^ω<;)
でも少なくとも、
飲んだ人を
驚嘆させ感動させ忘我の境地に陥れ、
そこがイタリアンバールであるとか
有名バリスタがいるとか
BGMが優雅とか、
そういうことが全て無かったことになるほど、
何も見えず何も聴こえなくなるほど、
うめぇ珈琲を淹れることは、
いっしょうけんめいがんばったら
出来ると思うので、
その熱意が伝われば、
あくまで店に従事するけど
それくらいの意気でがんばると
アピールできれば、
合格するんじゃないかと、
そう思う。
不合格だったけど。
イタリアンバールを思わせる
優雅な店の雰囲気に圧倒されたのでした。

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珈琲再構築計画立志

2012/02/24(Fri) 03:08 | Edit
気になる珈琲(アイツ)

願わくば珈琲でごはん食べたい。

別に、珈琲をおかずに米を食べたい
というわけじゃない。
珈琲を供することで収入を得たい、
ということだ。

店を持ちたい。
というわけではない。
いや、持ちたいけど。
それはやりたいことっていうより、
そういうのが有ればなあという感じ。
親しい人たちや
珈琲が好きな人たち、
くつろぎたい人たち、
本を読んだり勉強したり、
自分の時間を過ごしたい人たち。
そういう人が集まれる場所があればなあ。
最近、近所の良い喫茶店が無くなったので、
とくにそう思うわけです。
で、そういう人を想定して、
店を構えるというのは、
それはニーズに応えることだと思う。
それは仕事だと思う。
素晴らしい仕事だ。

でも自己主張をしたいわけである。
珈琲を用いて。

表現がしたい。
創作がしたい。
世に問いたい。
その手段としての珈琲を考えた場合、
その答えは必ずしも
店を持つということにはならない。

珈琲は珈琲だ。
でも珈琲にもいろいろある。
芦田愛菜からスティーブ・ジョブズまで。
人間もいろいろ居るように、
一概に珈琲と言ってもいろいろある。
感動すら覚える珈琲っていうのも、
実際にある。
ぼくは見付けた。
まだ珈琲の味なんてわからないときに
出会ってから、
今でもやっぱり素晴らしいと思える珈琲がある。
そのレベルに珈琲を淹れられるなら、
人はそれに価値を与えるだろう。
しかしそれではまだ珈琲なのだ。
珈琲を超えたいのだ。
スーパー珈琲を淹れたいのだ。
珈琲2.0に突入したいのだ。
しかしそれはいったいどんなものだ。
それは珈琲なのか。
容れる器はコーヒーカップで適切なのか。
茶色いのか。
くちから摂取するのか。
素材は珈琲豆なのか。
それは今のぼくにはわからない。
だが、何せ、
結果として珈琲であるもの。
そして、それまでの珈琲の概念を
遥か彼方に置き去りにするもの。
それが、珈琲2.0。
はなしがそれましたが、
ワークショップ的なイベントで、
珈琲を振る舞うのはどうかな、と。
修行とPRが目的だから、値段は定めず、
投げ銭形式という形をとりたい。
名刺と、
珈琲についてのプチコラムの
フリーペーパーなんぞを用意したい。
小説がある程度書きたまっていれば、
喫茶店にまつわるものを集めた冊子を作り、
販売したい。
一編、約3分で読めて、
珈琲の抽出しているのを待つのに
ちょうど良くしたりして。
もちろん、欲張らず、
あくまでもてなす気持ちで。
気持ちよく受け取ってもらえるのが一番だ。
いや、まあ、
具体的なことは何もわからないので、
どんな感じにできるのかわからないんだけど、
とにかく、
こだわり全開の珈琲を淹れ、
飲んでもらう機会というのを持ちたいわけです。
自分の得意なものをとっかかりに
たくさんの人と関わるということも、
何か良いことを招きそうでわくわくする。


そのために、まず、今すべきこと。
それは、
仕事なくなったので仕事みつけることだッッ!!

   * * *

拍手いつもありがとうございますっ!
めちゃめちゃ嬉しいんですよ。
集めて中粗挽きにして
お湯で抽出したいくらいです!
きっとハッピーな味になるでしょう。


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